フィレンツェ Hotel Villa Carlotta シニョリーア広場

歴史的旧市街の真ん中に陣取るシニョリーア広場 は、フィレンツェに数多ある広場の中では観光客であれ市民であれ、最もよく人が訪れる場所である。
L字型の広場の建設は1268年にまで遡り、ちょうど教皇派(ゲルフ)が皇帝派(ギベリン:1250年までフィレンツェの町を支配していた)を打ち倒し、新たに政権をにぎった頃であった。 この両派閥はフィレンツェの主権をめぐって、1215年より町を二分して闘いを繰り広げていた。 それ以前の、ローマ帝国による支配時代は町の名もフロレンティと呼ばれていた。当時より広場には人々が集い、劇場やローマ式浴場、各種工房などが置かれていたことが、1980年代に行われた発掘調査で明らかになっている。
1268年、教皇派(ゲルフ)は、皇帝派(ギベリン)が広場周辺に所有していた建物全てを取り壊した。それらの中にはフォラボスキ家、ウベルティ家が所有していた塔建築も含まれていた。 その後、荒れ放題のままにされていたが、1385年に初めて路面工事がなされている。
広場にシニョリーア宮が建てられていため、この名前が付けられたが、現在、同建物はヴェッキオ宮と呼ばれている。
この現ヴェッキオ宮は役所として使用するために、1300年代へと世紀をまたいで、アルノルフォ・ディ・カンビオにより建設されたものである。
シニョリーア広場と言えば、『虚栄の焼却』が有名だ。
ブライアン・デ・パルマ監督の映画作品に『虚栄のかがり火』と言うのがあるが、それとは関係なく、1497年にドメニコ会のジローラモ・サヴォナローラ神父とその弟子達が行った焚書のことを指している。書籍、衣服、美術品、詩歌などを虚栄の産物と見なし、広場で焼却したのだった。
1452〜98年にかけてフィレンツェを統治していたサヴォナローラ神父は、その後、シニョリーア広場にあるネプチューンの噴水前で処刑される。サヴォナローラ神父が絞首刑の後、火あぶりにされた場所には、現在、大理石プレートが設置されている。
シニョリーア広場にはウフィッツィ宮の他にもランツィ回廊などの建造物が見られる。ゴシック式アーチが並ぶ回廊内には15体の彫像が置かれ、なかでもベンヴェヌート・チェッリーニの、メドゥーサの首を持つ『ペルセウス』が有名。
その他にもシニョリーア広場には見ごたえある彫像が置かれており、ミケランジェロ作ダヴィデ像のレプリカ(本物は1873年よりアカデミア美術館に収蔵されている)や、メディチ家コジモ1世の騎馬像などがある。

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